工藤静香『MY TREASURE BEST』が教えてくれる、80年代アイドルブーム終焉の真実
- 1 :湛然 ★@\(^o^)/:2015/02/22(日) 14:24:43.31 ID:???*.net
2月18日にリリースされた工藤静香のベストアルバム
『MY TREASURE BEST ー中島みゆき×後藤次利コレクションー』は、この国のポップス史を
振り返る上でとても重要な作品だ。
1987年8月31日、その2年半前に始まるやいなやこの国のティーン男子カルチャーを
席巻し尽くした(自分もスタジオ収録の観覧に何度も行って、とんねるずに煽られて大騒ぎ
していたものだった)『夕やけニャンニャン』の最終回放送日、まさにその当日にソロデビューを
果たした工藤静香。以来、彼女はコンスタントに作品をリリースしていた90年代後半まで
約10年近くにわたってトップシンガーとして君臨し続けることとなった。
(中略)
中島みゆき×後藤次利のコンビによって工藤静香に初めて提供された楽曲は、
本作でも<DISC-1>の冒頭を飾っている1988年の「FU-JI-TSU」。これは8作連続1位の
起点となって工藤静香の黄金時代到来を告げた曲だが、さらに言うなら、時代の転換点と
なった曲でもある。
昨今のアイドル史観においては、「おニャン子クラブ現象によって80年代アイドルブームは終わった」
ということが定説のように語られることが多い。しかし、より正確を期するなら「後期おニャン子クラブ
のエースだった工藤静香の“アーティスト”化によって80年代アイドルブームは終わった」
と言うべきだろう。
『夕やけニャンニャン』放送時、次から次へとデビューし、軒並みチャートで初登場1位を
獲得してきたおニャン子クラブの人気メンバーへの支持は、番組の放送が終わる(=工藤静香が
ソロデビューする)と同時に、一気に退潮することとなった。そしてそんな中、工藤静香は
アイドルとしてではなく、シンガーとして、アーティストとして絶大な支持を得るようになっていく。
この80年代末に起こった「アイドルのアーティスト化現象」。
先日、インタビューの席で工藤静香本人に訊いたところ、「ある日突然、“アーティスト”という
言葉をみんなが使うようになった。当時は流行語みたいなものだと思っていたのに、こんなに
一般的な言葉になるなんて想像もしてなかった」と興味深いことを言っていた。
実際にそれは、先行する松田聖子、中森明菜、小泉今日子らメガアイドルの「アーティスト化」、
そして工藤静香とほぼ同時代の本田美奈子、中山美穂、森高千里らの作品内容の変化など
とも連動していたわけだが、「元アイドルにもかかわらず同性からの圧倒的な支持」を獲得した
という点において、やはり工藤静香が突出した存在であったことは間違いない。
そこで鍵となったのは中島みゆきの起用である。
当時から都市伝説のように語られてきたエピソードをご存知だろうか?
工藤静香がソロデビューするにあたって、当時ポニーキャニオンのディレクターであった
渡辺有三氏はまだ高校2年生だった彼女に
「松任谷由実と竹内まりやと中島みゆきの3人の中で、誰が一番好き?」と質問した。
そこで工藤静香が一瞬の迷いもなく「中島みゆきさんです」と答えたところから、その後の
輝かしいソロキャリアが始まったとされるわけだが、工藤静香本人に確認したところ、この
エピソードは完全にそのまんま実話とのこと。
松田聖子の作品のクオリティ面における大充実をきっかけに、ニューミュージック勢がこぞって
アイドルに楽曲を提供するようになった80年代末の日本のポップスシーンの景気の良さを
象徴している話である。
(>>2以降につづく)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150221-00010002-realsound-musi
2月21日(土)15時49分
怪盗ルヴィはどう聴いても名曲とは言えないなあ
平凡な作品
優しい雨ってあったな
ただあまり覚えていない
ニコ生に工藤が出てたが
「歌が上手くもないのに楽屋で発生練習してた歌手がいた」とか
なんでこの人こういう事を平気で言うんだろうね
最近アホみたいにTV出てると思ったら宣伝中なのか
BBAになってもあのしゃべり方とかきめえ
小泉今日子はこれと言った名曲がない
「木枯らしに抱かれて」ぐらいか
キョンキョンの一番の名曲はスターダストメモリーでしょ
静香は子育てが一段落して仕事復帰って感じでは
声量と伸びがある歌声だからいい楽曲が集まったんでしょうね
工藤静香が同性に支持されていたなんて何かの冗談ですよね
はじめのいっぽの渋谷公会堂に行った俺がはっきり断言するが客の2000人のうち1999人は男
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